3・11*
3月11日。
365日は生きてる人の数だけ、もつ意味やイメージが違うと思いますが、この日は多くの方が一番最初にイメージするものが、同じな気がします。
わたしにとってこの日は昔から、たったひとりの弟の誕生日でした。今年ももちろんおめでとうをLINEしました(*^^*)
本当は電話したいのですが、弟は4交代制なので、今が何勤務かわからないので、やめておきました(´・_・`)
でも、5年前から、彼の誕生日より、心を占めるモワモワした気持ち。
そのころわたしは岡山にいました。
わたしは当時、学生。国家試験まであと1週間。卒業式まであと4日で、喜びと期待と不安と緊張が入り混じったまま、学習室で友だちと勉強したのを覚えています。
そのため、地震発生以降も一緒に学習室でいた別のグループの子たちが、むこうの方地震が来てすごいらしいよー。スマホにニュースで見た文面のみのリアリティのない話をしているのを聞きながら、友だちと怖いよね。と言いながら、暗くなるまで勉強して、ひとり暮らしの家に帰りました。
…なにげなく、つけた部屋のテレビには、想像したこともなかった現実が広がっていました。
その後、伝えられる情報もすさまじいもので卒業&国家試験の非現実に合わさって、本当に今思い出しても、あの頃の記憶は自分のものなのに嘘のように思えてなりません。
国家試験も東北の試験の延期が発表され、わたしのことではないのに、漠然と不安に襲われたの忘れられません。
わたしは、あの大震災で失ったものはなにもありません。
ただ心を痛めただけです。被災された方々の気持ちは想像じゃうめられないものがあると解っているつもりです。
それでも、
今がわたしがいるところも、見ているものも、大事にしているものも、きっとたくさんなくなってしまいます。
もしかしたら、家族が、大切な人が、自分が、今のままでなくなるかもしれない。
それらを想像したら、それだけで、いつもわたしは泣きそうになります。
だから、
頑張れなんてえらそうなことは言えないし言いたくないし、
金銭面での支援もわたしができることはせいぜいコンビニでのほんの少しの募金ぐらいだし、
ボランティアに行けるほど、元気な自分もガッツも持ち合わせていないけど、
今日3月11日だけは、
被災された方々の、ほんの少しの幸せを祈っています。
今ある現実は変えられないし、
いきなり元気にも、いきなり元どおりにも、いきなりなかったことにもならないと思うから。
今日という日が少しでも幸せな意味のある1日になるように祈っています。
わたしにできる3月11日の意味の持たせ方。
弟の生きる命と、たくさんの亡くなった命を、傷ついた命を想う。
わたしが生きている限り、そんな日にしていきたいです。
自己満足かもしれませんが。
そして、わたしが同じ体験をするであろうその日まで、“当たり前”ではない“今”を生きていきたいです。
本当に被災地の1日でも早い心からの復興をお祈りしています。